猫目、狸目、泣黒子

目元に目が無い

すっ、とする事

「死にたい」と言う人ほど死なないと言うが、これだけ言っていてなお「いつか自分で死にそうだ」と言われるのは、心底納得が行かない。

それが、今でも普段から死を望む様な発言をその人の前ではしておらず、心の闇に蓋をして、普段には見せない努力をし始めてからも時折言われるのだから尚更だ。

どこかで、滲み出ているのかもしれない。

 

そもそも「死にたい」人は、本当に死にたいのだろうか。

何故、「死にたい」のだろうか。

明るい未来が見えず、もしくは未来がどうであれ、今という現状の打破が厳しいと自覚しているから「死にたい」のだろうか。

死をもって、先にあるかもしれない幸せより今からの解放を選ぶという事である。

じゃあ、それは100%そちらの「死にたい」気持ちかと言われれば、未来がわからないし、そもそも未来の幸せが起こればそのせいで今の辛さは霞んでしまう事も分かっているかもしれない。

だから今だけなのは分かってるけど、でも辛いから死にたくなってしまう。という、葛藤ゆえの「死にたい」かもしれない。

「死にたい」は、恐らく刹那的である。

その刹那が死に寄っている時、俺は死ぬ事が出来るのだろうか。

また生に寄っている時、俺はもう二度と死に寄らないと誓えるだろうか。

それらはどちらもきっと出来ないし、死ぬも生きるも踏ん切り次第ではないかと思う。

ただ生きる方が、何もせずとも叶えられる事だから、こうして生きている。

無駄な外傷は付けない。それは死では無いから。

薬は飲まない。死を感じる事なく死んでしまうから。また、死なないかもしれないから。

ただ、生きている。日々の楽しみも苦しみも引っくるめて、思い出や記憶に残っている。

しかし過去の事に対し、興味は全く、無い。

ただ今居る人達と話す時、思い出話は話題を作らずとも記憶で話す事ができるので、それは良い。

どうやら、自分で出す話は相当面白く無いらしい。

皆、結末を待つ。結末の無い話だと俺は分かっている。俺自身がそういう話をされたら、質問や相槌で繋げているから、相手の返答を予想してついそんな話しか出来なくなってしまう。

結果、ある程度結末となる様に嘘をつき、なんとなくあちらに話の終わりを察してもらう事がある。ただそれは、面白くは無い。

相槌は得意だ。人の話を聞く姿勢が大事で、相手の共感を誘う言葉は効果覿面である。

突っ込みを入れる事も多々あり、少々癖がある様で、それも幸い受けている。

もう人が話してればそれで良いじゃないか。という様なスキルの寄り方をしている。

とにかく他人ありきの理論展開が得意で、他人の出したアイデアに対し昇華させる様な事を出す事に苦悩は無い。

 

自我が恐ろしく無いのだ。

本当になんでもいい。してもしなくてもいい。動いても動いてなくてもいい。楽しくても楽しくなくてもいい。

楽しいと、そのあと楽しくないので、満足の度合いは変わらない。

それでもする事があるのは、・生きる為にやらなくてはいけない事、・人が好きで話題になる事、・する事によって人に見せられる場が有り、評価を得られる事、だからだ。

 

ただし三大欲求のみ、そこから外れる。

俺は別に可愛い子を好きになっているのではないかもしれない。本能からくる脳の麻痺かもしれない。好きという感情は全くないのかもしれない。それはただの独占欲と嫉妬で出来ているだけかもしれない。

食が失せているのも、店に行く時は平気で食べるのも、美味しいものを求め過ぎてコンビニや弁当が純粋に欲を満たせなくなっているからかもしれない。

ずっと昔から、いつになっても眠りたくなくても眠ってしまうのは、やはり、その欲求の方が上なのかもしれない。約束に寝遅れてしまったり、電話に出る事が出来なかったりして、寝た事を後悔しているのも、独占欲を満たせなくなる焦りからなのかもしれない。

 

独占欲は、自我の中に一つだけある自分の意思かもしれない。

自我が無いから、死にたいとは言っても死ねない。

依存できる誰かが殺してくれる時は、喜んで死ぬかもしれない。

そうでなくても、死が訪れたら、後悔なく死ぬかもしれない。

とにかく、割と全体的に気にしている振りを一応しているだけで実は全然何事にも興味はなく、欲求から来る慈愛と優しさだけで、その対象には何も思っていない。その方が自然である。

 

小さい頃、祖母にもらったおもちゃが壊れる夢をよく見ていた。

赤い橋の上で、おもちゃを自分で叩きつけて、壊れたおもちゃを見て悲しくなっている自分が居る。

 

独占欲が満たされない時、よく今周りにあるものを壊す想像をする。

皿を割ってみたりする。まだ使える物を壊してみたりする。

人間関係の中で、近しい人を心無い言葉で傷付ける想像をする。

共感力が高いのならば、こう言えば少なからず心に重たく響く靄が残るだろうな、という想像をする。

信頼が高い為、良く相談を受けるが、例えばこの秘密をバラせば、ここの関係は少なからず気まずくなるな、と考えたりする。

テロが起きれば、起こせば、通り魔があれば、行えば、火災があれば、火をつければ、どんな感じか、どういう悲しい事が起こるか。

 

その時、鏡に映った俺は、真顔ながらも心がすっ、と、していると思う。