猫目、狸目、泣黒子

目元に目が無い

魔女の鏡

わかるりんぼんちゃんと申しまさ!よろしくでさ😉

ほんまに?いや何をわろとんねんアホか

 

ネット世界において、図ってか図らずか、いつの間にか自分とかけ離れた自分のキャラがそこに居る。

現実でもあり得るとすれば、本当に好きな異性と一緒になった時や、

自分の子供や犬猫など、寵愛対象に対する時。

とても普段の自分の口と同じ物を使用して居るとは思えない言葉がつらつらと出てくる。

実際、りんぼんという愛称はネロのものであるし、〜でさという喋り方も模倣をしようとした結果のキャラクターであり、自分の言葉ではない。

文字媒体ではいくらでも、そういう事を出来てしまうのだ。

困るのは、そこから声を発する時。

そうなってくると、自分自身の聞き慣れている声から、聞き慣れない言葉が聞こえてくる事となる。

それをどう思うかだ。

 

まず文字で仲良くなった時、なるべく現実との差を埋めようとしていたが、わかるりんぼんちゃんに関しては完全に逆をいっていた。

マスコットキャラクターの様な可愛さを持ち合わせた、電球の怪物。

電球の怪物は、思いの外気に入られた。

いよいよそのキャラから仲良くなる子も増えた。

ツイッター、ライン、実際の声にもそれは侵食していった。

こうなるともう、完全にもう一人の自分の人格である。

結果、私の呟きは関西弁とりんぼんのハイブリッドをよく使う様になった。

〜〜よ という語尾は、〜でさと言う普段でも使わない様な言葉と〜やんと言う関西弁の語尾の差異を埋めようとした結果だ。

わかるりんぼんちゃんは、私も好きだった。

ここで触れる話を少し戻すが、わかるりんぼんちゃんという存在からそもそも始まった人達は、

結構性別がどうとかそういう次元にない、ネット特有の距離感を持てている交友関係にある。

その時、私はどうしても元々の自分のみを出す事が出来ず、わかるりんぼんちゃんを土台に交流をしているのが現状である。

その時、私は魔女の鏡に出会うのだ。

配信をしている時、聴いている時、とにかくわかるりんぼんちゃんが自分である時に、

ふと手を洗いたくなったり、歯を磨きに行ったりする。

洗面所の鏡に映っているのはわかるりんぼんちゃんではなく、本来の自分なのだ。

真の姿を映す魔女の鏡の様に、突然それは意識の外から現れる。

なんで私は電球の怪物では無いのだろう。

いっそせめて、その可愛らしさが似合う女の子では無いのだろう。

いつの間にかある数場面においてのみ、人格が乖離している気分になって仕方がないのだ。

 

だが、本来私は私。個性は全て私だ。

どんなに乖離していても、わかるりんぼんちゃんも自分だと思えて仕方がない。

考えてみれば配信の際、話している正面の画面には、アイコンであるところのわかるりんぼんちゃんが映っている。

思わなくて良い事を思わせる魔女の鏡は、偽りの姿を見せ、人格を形成したこの小さな機械の方なのかもしれない。