猫目、狸目、泣黒子

目元に目が無い

夢幻回廊

眠れない。

 

基本的に、私は平日の仕事のある時は、いつだって眠たいしいくら寝ても起きにくい。

逆に休日を迎える夜には、朝までだって起きている事もできる。

どうやら休日出勤の日は、体内時計は休日カウントの様だ。

 

この状態が一番気持ちが悪い。

本当に明日が何も無い日ならば、何かゲームやネットやら、いくらでも夜を明かせる行為を気の済むままにすれば良いのだが、

明日があるからそうも行かないので、とりあえず眠ろうとする。

すると、体内時計では休日の設定で動いているから、すっかり目は覚め切っているのだ。

その時、心は大きく騒ついている事が大半で、眠ろうと目を瞑っても心臓の辺りがざわざわして気持ちが悪く、少しの物音にも過敏になる。

私は普段であれば不眠症の罹患者を可哀想と思うが、この時ばかりは同じ苦しみを共有したくて仕方が無いのである。

 

しかし普段は眠れるので、その苦しみを彼らに打ち明ける事は出来ない。彼らにとって、共感にならないからである。

 

こういう事は往々にして、ある。

前回、自分のアイデンティティは他人に依存している事に矛盾の様な最大の特徴がある事を述べたが、

他人に依存する為、非常に趣味嗜好の分布が乱れてしまうという傾向が見られる。

つまりは範囲だけで見れば非常に広い部分をカバーするが、同系統の人間で仲良くなると言った友好関係が築き辛いという事が問題になってくるのである。

 

これは、あちらからすれば結局オールラウンダーが一人いると便利な訳だが、こちらは完全に器用貧乏の類である為、

手数と交際対象が多い割に得られる深度が少ない。

はっきり言って自分への対価には全く見合わないのがこの性格なのだ。

恐らく、他人には非常に高価値に映る場面は多い。

対応力、柔軟性があり、大体どこに配置しても問題は無いからだ。

 

実際のところ気分の波が激しい為、突然私の方からその信頼を無に帰すので利点を自ら潰しているのだが。

昔から極端な性格だとは母親に言われて来たが、彼女の言葉が縛ったのか彼女が自分の息子への評価が非常に正確だったのか、その通りに育ってしまった。

余談だが、明日、覚えていてその気があれば、「生まれ持っての素質か、環境に植え付けられた固定観念か」という様な事、概ね性善説だか性悪説だかの様な内容にはなるだろうが、とにかくそんな事について詳しく書き連ねてみたいと思っている。

とにかく、今はそんな自分が損をする性格について、一時的不眠症の間考えていようと思う。

 

実際、高価値に映ると言うのも希望的観測であり、実態は分からない。

人間建前が常であり、大体相手が思う本当の評価を素直に受け取れる事はまず無い。

ただ過去の経験から言って、悪く言えば都合の良い位置に居た点や、取りまとめる事が多く、大体はどちらの立場の味方にもなれていた点を鑑みるに恐らくこの推測は当たってはいるのだろうと判断している。

人間性格は変わらないと言われている中で、持ってしまった器用貧乏を使って自分が得をしようと思った場合、どうしたら良いのだろうか。

まずは、自分が疲れてすぐに交友関係を切ることをしなければ、人脈が広がる点においてメリットがある。

しかしこれは人柄が良く人望のある人間に劣る上に、精神疲労を我慢しなければならないので、△だ。

敵がいない点はどうだろうか。

恐らく、人望のある人間は心の荒んだ人間の恰好の妬むべき対象となるし、なんらかの嫌な視線は向けられている様に思う。

私の場合、それはほとんど無いのでそのストレスは無いが、恐らく人望のある人間はそもそもその人望の中で信頼の置ける仲間を十分人数揃えており、プラスマイナスゼロで清算できる為、同じ±0では無いかと思う。

恐らく人生に波が無く、面白くないという意味では劣っている。

挙げればキリがないが、一つ言えることは極端な性格であるが故に極端な道しか用意されていないのかとは薄々勘付いている。

多分、無理をして前へ進む事を選べば私は地位も高く賢しい立ち回り方を知った成功者にはなれると思う。付いて来るのは結果で決して喜びではないが。

逆に、気を抜こうと思えばいくらでも抜けると思う。現に私生活は非常にだらしなく、それどころか一度まあ良いかと思った項目に対しては本当に何もしていない。大概の人間ならするかもしれないが本当にしなくても気にならない。

仕事も、頑張りたい気持ちの波すら生まれなければ、いつだって辞められるだろう。

考えれば考えるほど、答えと言うものは先の自分の気分と状況によってしか判断できない事に気付き、もやもやとした感情だけが残る。

 

答えの無い問いは、眠れない日には最適な思考テーマだと思う。

 

現実と過去しか参照のできない間は、タイムマシンが欲しいと思うが、タイムマシンと言う発想を人間がしなければ、欲しいとも思わなかった。

 

人間は思考をし、思考に悩まされる生き物だ。

 

近頃、「社会人になってから楽しい事が無くなった」と考える事が良くあった。

結論から言えばそれは間違いだったのだが、折角字数制限が無いのだから順を追って頭の中での思考をここに記そうと思う。

 

社会人になってから楽しい事が無くなったと思う内は、学生の頃を思い出したり、学生と社会人という境界が最も少ないネットの世界に沈み込む事で日々を消化していった。

特に、ネットの世界。家に帰って日時表示のみのスマートフォンを開いては、私の指先は同じアイコンに触れていた。

 

無意識の内に、そのアイコンは自分の親指が最も届きやすい位置にある。

 

そしてこれは意識的に行った事だが、ホーム画面に遷移してからそのアイコンにたどり着くまで、少なくともニ回は画面に触れなくてはならない。

結局、意識的に二重の扉を設けた理由も、余計に開くのを防ぐためだった。

しかしそれは決して、社会に出てからの唯一と言っても過言では無い程の楽しみに依存し過ぎていた事を防ぐためではない。

その依存対象さえ、いわゆる気の置けない人達の環境が変わってきた事を、開く度に思い知らされるのが嫌だったからだ。

 結局、自分自身で二重に閉じ込めた檻によって、段々と何もせず眠る日が増えた。

一時期、ゲームを介して毎日の様に楽しいと思える事も、結局仲間が増えない上に、それ自体あまりネットの世界と両立の出来ない事だったから、なんとなく足が遠のく結果となった。

ネットの世界の友人達と、いっそこのまま社会と切り離して隔離されてしまえば良いのに、と思う。

金銭を生み出す為に、私達は何故、やりたくない事で一日の活動時間の殆どを費やしているのだろうか。

それこそ、大体の人間が稼がなくてはならない、と、強迫観念に晒されて気付かない檻だ。

 

とは言え、果たしてこの気持ち自体は、社会人になったからなのだろうか、と、ふと思った。

実際問題、社会から抜け出したいのは別問題で、精神の衰弱という話で言えば仕事そのものが直接の要因となった事柄は一つもないのである。

 

周りの変化であったり、自分の変化が、噛み合わない事。

それは社会人になったからではなく、環境が変わった時にいつも起こりうる事だった。

恐らく違うのは、大学時代に繋がった縁が、自分の中で特別であった点それのみであろうと思う。

単純に、休日の日中から平日の夜、擬似ナルコレプシーを作り出している私の心の原因は、依存対象に求めていた依存が立ち行かなくなった事に対する苛立ちただそれだけである。

 

そう考えると、趣味に興じようと思ったって仕方がない。私は基本的に、他の人間が居て、その先に自分の好きなものが結びついているからだ。

きっと、好きな人が釣りを好きならば、釣りをするし、好きな人が聴いている音楽ならば、元々聴かなくたって口ずさむ程聞くのだ。

基本的に私のアイデンティティは、皮肉にも、自らの個性でありながら他人に依存しきっている所に特殊性がある。

自らの躰を強化出来ない体質の為、外注の強力な武装で身を固めているのだ。

今は、その武装が古くなって剥がれかけて来ている。心が剥き出しになれば、かすり傷が増えて感傷的になるのも、仕方がない事なのだと言う結論に達した。

 

 

檻が必要だ。

 

武装を外注出来ない場合、いっその事自分自身を隔離しておく為の檻がいる。

自分自身、本当に巡りあわせには恵まれてきたものだと思うが、檻を頼む宛が、無い訳でもない。

この、どうしようもない文章を読んでいる貴方しか知らない事だが、近頃知り合った28歳の女性、大阪府堺市に住んでおり、つまりは同じ都道府県にその身を置いている女性が言うに、私の様な若い男を飼いたい、らしい。

私の事がお気に召した様で、私なら飼われるその資格があるらしい。

働かず、ただ家で私は帰りを待っていれば、良いらしい。

 

檻。例えで言った言葉だが、先程までのどんな檻よりも、最も言葉が表すに相応しい檻が、目の前にある。

私はその檻に興味を示し、店主に話を聞いている。

 

依存先を求めて前へ進みたがる右足が、その檻の中に入るのは、

少し先の未来だろうか。空想だろうか。

36°の電熱線

私は抱き枕を抱いて、肌触りの良い、自分の匂いがする布団に足まで包まれて眠るのが好きだ。

冬は特に冷え込むから、自分のいないベッドは冷え切っていて、入った時から暖かければと思う日は少なくない。

ただ、一度包まれてその体勢を確立すれば、柔らかくじんわりと冷え込んだ布団達は熱を持っていく。

ストーブの暖かさは、速効性はあるが同じ距離感で当たっていると熱くなってくる。

人肌は、その36°の熱のまま、柔らかく暖めてくれるのだ。

そんな36°の電熱線が、物言わぬ抱き枕にも敷かれていたら、どんなに良かっただろう。

 

冬になると布団から出れない。

 

熱源は、私しか居ないから。