欠実
最近、文章も書けなくなってきた。
なんとなく書き始めたら大体書けそうな心持ちにはなるのだが、まあ別に書くもんでもないかと思ってしまう。
基本的に何か作りたい、見てもらいたいと言う気持ちよりも、
才能の無さを感じてそもそも作らなくなる事が多い。
努力なしでは実を結ばないのに、結んでもいない実の味ばかり気にしている。
苦労して時間をかけて若木から育ち、実を結んで初めて次の新しい種ができる。
そのサイクルを行う事なく、若木を踏み潰してしまう。
結局全部妥協で、文章なら書ける→物語は書き始めると終わりが見えず、また書こうとして矛盾や無理に気付いてしまい、長過ぎて続かない→歌も好きだ 歌詞で見せよう→曲が作れない
こういった具合で、大抵妥協に妥協を繰り返し、その先に待つのは無だ。
やはり書くなら本願である物語、文章なのだ。
実を結ぶまで、その実が不味くとも水をやらなくてはならない。
案外、美味しいかもしれない。
実の味の上には、人の味覚という、差異のある結果が待っている。
どうせまた、こんな事を思っても諦めるのは目に見えているが、
一応書き残しておこうと思う。
無を生み出しているのはあくまで自分自身だ。
このままでも、生活は動いていってしまう。
何もないまま、終わるのだ。