猫目、狸目、泣黒子

目元に目が無い

信頼

どこまでも嘘が本当にならなくて、信頼できる人って人生で何人いるんだろうか。日々暮らしている中で、どうしたってどこかには騙さなくちゃいけない事や、隠さなくちゃいけない事があって、

お互いの腹の内を探りながら、両者の落とし所で上手く関係を築いている。

そんな中で、そんな自分もまた自分で、心を開いて笑ったり落ち込んだ気持ちを隠さない自分も自分として受け止めてくれる様な人は、何人いるんだろうか。

心を曝け出し過ぎても、それはそれで対応が面倒臭いだとか、それを受け止める側の気持ちにもなって欲しい、と

本心に当てられた側の人間の不満が出てきてしまえば、申し訳なさから今後本心を隠したり、我慢せざるを得なくなってくる。

流石に心を曝け出すのが毎回続くのは信頼では無く依存だと思っているしそんな不満が出てくるに違いないので、

普段という土台があった上での辛い気持ちを打ち明けられる関係、と言った方が正しい。

何人いるんだろうか、と問いかけたが、多分そう言われてみて浮かべてみれば確かに少ないだろうと思ってくれるかと思ってそう言っているし、別に人数は主題じゃない。

そういう人が1人でも居た時、その人と話している時の安心感や、心の荷を降ろしているあの感覚が好きなのだ。

平日でも休日でも、何かしら気を遣っている毎日があって、全てが満足な事は無いと思う。

仕事をしている時、上司や同期、完全に気を許しているか。

家庭に戻ったって、夜遅くなりご飯を作って待ってくれていたのを忘れてまた、小言を聞かされ受け流すのか。

友人の立場も変わり、学生の頃の様に気兼ねなく話すことも少なくなった、とか。

日々営業、私達は何かしらを背負って生きている。

だからと言って1人の時間は対話する相手が居ないから、心の荷を降ろしたって別に軽くなった事を実感する事はない。

背負ったまま椅子にでも座って、荷物の重さを感じなくても良い場所で落ち着いているだけだ。

誰かと想いを共有しながら、荷物を降ろして話しているからこその安心感がある。

ただ、毎日誰しもにそうであればそれが当然になってしまうのが人間の欲深さで、

日々の中、嘘を吐いて塗りたくって作った物を抱えているからこそ、余計に邪魔な物を取っ払った本当の気持ちが大切になる。

あなたにはそんな気持ちを共有できる人が何人いるんだろうか。

良いも悪いも酸いも甘いも、両方抱えて生きていく中で、

抱えた物に隠れた心を、最後は笑いながら手放して見せられる様な人に、もっと出会えたら良いなと思う。